吾輩は猫かぶりである。
今だってわざわざこのサイトを見つけてくれた人が、
「勢いでYoutubeを始めた大学生が “このたびYoutubeを始めることになりました!イエーイ!!”
ってはしゃぐような最初の薄っぺらくてどうでもいい投稿か。よくあるよねー。」
と思ったりしないように精一杯ユーモラスに語ろうとしている。
私はどちらかと言えば、不純な動機であっても、新たな挑戦を始めた輝かしい彼らを教室の隅から鼻で笑うような人間だ。
今後私はどんな文章を書くかわからないが、きっとこんな捻くれた文章を読んでくれるのは私と同じようなタイプの方なんじゃないかと思う。
あなたたちには嫌われたくなくて普段以上にニヒルなエッセンスを文章に混ぜ、回りくどくなってしまっている。
文章でさえ猫をかぶってしまう。
昔から本を読んだり、文を書いたりするのは好きだった。読書感想文は一行日記位の感覚で書けた。
最初にブログを書きたいと思ったのは中学生の頃だったと記憶しているし、高校生の頃にはその辺のサイトで2つくらい、好きな音楽について語ったブログを上げた。
しかし、持ち前の飽き性で続かなかった。思い立った時の勢いは人よりあるのに継続力はない。
なぜ今回もう一度物書きをしようと思ったか。
もちろん、私は皆さんの役に立つ情報を、なんて善人ではない。
昔から人の顔色を窺って自分を押し殺してしまう私は、今思うに会話によるコミュニケーション以外の自己表現方法を渇望していたのだろう。
文学や音楽などの芸術は倫理観を排して思想や事実に鋭く切り込むことができる。
表面上だけで中身が伴わない、意味のないものが嫌いな私にとっては芸術こそリアルであってほしいとさえ思っている。
ブログを書くのは今一度自己表現と向き合いたいと思ったことが第一。
キャリア形成や収入への意識が第二といったところだ。
文体をですます調にしていないのは意図したことではないが、自身の心理を脚色せずに残したかったからかもしれない。
最初にこの投稿をするにあたって自分の率直な意見を記念に残しておきたい。そんな気持ちが恐らくある。
このブログは続くかどうかわからない。前述した通り私は三日坊主だ。
もしかしたらすぐに投稿が途絶えるかもしれない。
しかし、自己表現への渇望は子供のころからずっと続いている。
もしかしたら何年も続けて有名になって当たり障りのない文を書くようになるかもしれない。
絵文字や顔文字で世俗的な文章を書くかもしれない。(それが悪いというつもりはないが)
もしも世間から見て私の文体が変わることがあったとしても、
きっと私の性根はさほど変わっていないだろうと思う。
それは、自己表現への渇望と共にずっと心に留めた思いがあるからだ。
私が何か作品を残すのであれば、それは私と同じような弱者へ向けたものでありたい。
人間不信で、卑屈で、無能な自分が嫌いで、どこにも居場所がない。
こんな自分を真っ直ぐに愛することができない。
そんな同胞に向けて何かを残したい。
決意表明的な意味も込めてこの投稿を残そうと思う。
もちろん、”作品”と呼べるような大それた投稿ばかりではないと思う。
大衆へ向けた情報も載せるだろうし、そのうち商品レビューなんかもするかもしれない。
あなたたちが嫌いそうなことをすることもきっとある。
しかし、投稿毎に文体が変わっても、規模が変わっても、
表現者としての私はあなたと同じような人間でいるつもりだし、あなたの味方でありたいと思う。
周囲からの見え方が違ったとしても、私の根本は変わらない。
なぜなら私は
猫かぶりだからだ。

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